ソープランドメニュー


お勧めリンク


ソープランドの道具

スケベ椅子

スケベ椅子凹


絶対必須のスケベ椅子、中央には手が入り、男性が椅子にまたがり女性が性器を洗う。

マット

マットプレイ用マット


マットプレイを行う特殊マット、マット上でローションを使用し、マットプレイが行える。

ソープランドの歴史

「風俗の王様」と称される ソープランドは、後述するように比較的新しい名称で、以前は「トルコ風呂」(しばしば略して「トルコ」)と呼ばれていた。


古くは、1932年に発表された小説 『上海』 (横光利一) に、「トルコ風呂」についての記述がある。女性がマッサージをする蒸し風呂が当時の上海にあり、日本でも知られていた。


もともと中東地域の伝統的な公衆浴場(ハマム)は蒸し風呂(スチーム・サウナ)で、中では垢すりのサービスが行われていたので、これが20世紀初頭まで中東随一の大国であったトルコの名前で日本に紹介されたものとみられる(もっとも、中東では男性客には男性、女性客には女性の垢すり師がつくのが原則である)。


日本で初めて「トルコ風呂」と呼ばれる個室浴場の店舗が誕生したのは、1951年4月1日、東京都東銀座に開店した東京温泉である。


経営者は現代史の怪人とも呼ばれる許斐氏利で、射撃の日本代表選手として海外渡航した際にスチーム・サウナに感動し日本初の「トルコ風呂」を開業したという。


これはサウナ施設がメインで、女性(ミストルコ)がマッサージサービスを行うものであった。無論、女性は着衣であり、性的なサービスも厳禁とされていた。


個室であることから同業者の一部はしだいに性的なサービスを行うようになっていった。売春防止法の施行(1958年)により赤線は廃止されたが、吉原ではさっそく「トルコ風呂」に転向する店もあった。


こうした「トルコ風呂」では、手を使って男性器をマッサージし、快楽に導く「スペシャルサービス」(おスペ)が行われ、やがてひそかに「本番サービス」(性交)も行われるようになった。


1970年代前半から、ビニールマットを使用した「泡踊り」という特殊なサービスが開発されて人気になり、男性向け雑誌など一部のメディアでも取上げられるようになった。


「トルコ風呂」が性風俗店の名称として大衆化されるとともに、主に日本に在住・滞在するトルコ共和国出身者の間で、日本の性風俗店に自国の名称が使われていることに対する反発がつのっていたが、1984年、日本(東京大学)で地震学を学んでいたトルコ人留学生ヌスレット・サンジャクリが当時の厚生省に名称変更を訴え出たことが発端となり、この問題は広く公になった。


そこで、「東京都特殊浴場協会」が「トルコ風呂」に代わる名称を公募して、1984年12月19日、「ソープランド」と改称した(「トルコ風呂」名称問題も参照)。


なお、当時ヌスレット・サンジャクリがトルコ風呂の名称問題で相談していたのは小池百合子で、そのことを1985年4月11日毎日新聞夕刊で認めている。


北海道旭川市・帯広市などの一部地域では「コルト」と呼んでいる。


ソープランドの現状

売春を完全に防止することは難しく、ソープランドを徹底して取り締まった場合、他の性風俗店の違法営業や路上での売春斡旋の増加、暴力団の介入、ボッタクリ詐欺によるトラブルなどが懸念され、また性病については、実態の把握がさらに難しくなることが考えられる。


その他性的はけ口が無くなった者の性犯罪の増加も懸念されるところであり、徹底した取締りが行われない理由は、法的限界だけでなく警察がこのような理由から黙認しているためとも言われている。


このように法律に抵触する可能性が濃いソープランドだが、性病の管理が徹底していれば客やソープ嬢両者に実害は無く(被害者なき犯罪)、また多額の利益を上げるソープランドの密集地域では、税収で町を潤わせているといった側面もある。


現在ではソープランドの新規出店が一部地域を除き規制されているため店舗数は減少に向かう方向にある。


一部地域を除き未成年の雇用に関しては警察の指導による店の自主規制があり雇用されない、所轄警察署が就労する女性の身分証明や従業員名簿を提出することを指導しており、保健所の立ち入り検査による店舗内の衛生状況の検査や指導なども行われている。


新規出店が規制されているソープランドは、息の長い高収益営業を目指しており、特に保健所の指導による性感染症の検査も積極的に行っている。


また近年は収益の向上のためソープ経験者の女性を経営に参画させる店舗も見受けられる。